コロロ発達療育センターは、発達障害や自閉症、ことばのおくれや集団に適応できないなどの問題を抱える子ども達のための療育機関です。

お母さんの声

機関誌「発達プログラム」の人気コーナー“子育てぶっつけ本番”より、
実際にコロロに通われているお母さんの声を紹介します。

杉並教室N.Rさん横浜教室S.Kさん

「コロロメソッドとの出会いと日々の療育」杉並教室N.Rさん

(発達プログラム117号2010年7月刊より)

ウエストサイドスクール二年生

全体学習我が家の一人息子N。少々フェミニンな名前は、主人と私それぞれの名の最初の音から付けました。今でも時々女の子と間違えられてしまいます。神奈川県の海岸に程近い駅から新宿を経由して西荻窪までの通室は平穏とは言い難い毎日です。年少時からご指導を頂いておりますコロロメソッドのデイリープログラムは、もうすぐ五年目の夏に入ります。入会してからの年数が片手で数え切れる若輩親子は、未だ近い記憶にある幼児時代と何等変わらず、現在も失敗や後悔、反省の日々を送っています。その様な奮闘真っ只中におりますNの日常を綴らせて頂きたいと思います。

山が連なるような姿

「五十人にひとり現れるか否か」
コロロの二回目の面接で頂いたお言葉です。丁度二歳半を過ぎた頃でした。その時の場面を鮮明に思い出せる程、私達はとてもショックを受けたのを覚えています。いつでもどこでも抱っこは欠かさず、初回面接では泣きやまぬ息子を前に授乳を申し出た前代未聞の母はコロロの先生方を大層呆然とさせてしまいました。後になり当時の様子を伺いますと、Nは大抵泣いているか怒っているか、はたまたずっとおんぶをされているかだったそうです。

誰の目にも赤子同然に映る反面、問題とされる行為は着々と芽吹いており、程なくそれらはまるで山が連なる様な姿で表出し始めました。そしてその中で、最も高くそびえていたのが手の反射です。部屋中のあらゆる引き出しや収納棚から中身を取り出しては放り投げます。目当ての物を探す事ではなく、全てを出し尽くすと次なるターゲットへと向かうのです。床には宅配用のチラシや家電の説明書が散乱し、玄関のたたきにはサンダルやスニーカーが裏表となく重なり合う始末です。本棚では二~三冊をまとめて掴むか、辞書並みの厚い一冊をありったけの力で一気に投げる……。反射が生み出す力は計り知れず恐ろしいものです。すぐさま改善策として、全ての引き出しや棚に鍵を取り付けました。主人は獣医師という職業柄手先が器用で、困難を要する箇所も絶妙な角度から設置し、やがて家中が鍵だらけの生活になりました。これらはすぐに目で見て判かる為に、抑止効果がとてもありました。鍵をどうにかしてまでも開けるという知恵は皆無でしたので、数日後にはそれらを前にして不思議そうにぼんやりと眺めていました。使用する度に解除と施錠を強いる不便な生活は数年間続きましたが、今は鍵が無作為に外されていても以前のような行為はいつの間にか消失しており、家具達も本来あるべき用途に戻りました。

期待を込めて購入する玩具類も、その殆どが反射の対象物となっていきました。「5分間でもいい、いや3分でも構わないから夢中になっていて欲しい」と願いながら組み立てる電車のレールは、その場でことごとく外していくという具合です。ブロックも積み木もしかり、時には玩具箱ごとひっくり返します。そしてある物は感触遊びに移り、また別の物では異食行為へと走っていく事も度々ありました。当時の面接時にメモをしたノートをあらためて開いてみますと、

・玩具を玩具として遊べない

・壁紙を剥がす

・ベランダから庭先へ物を投げる

・ソープ類のポンプを押し続け全部出し切ってしまう

等々が書き残されていました。相談内容の九割が反射により困っている事柄であったと申し上げても過言ではないようです。

外出先での反射は予測の付かない所での注意がより必要となりました。駅のホームや電車内では前後左右に隣り合わせた人の身体や手荷物をフワリと触り、ファミリーレストランでは注文が決まらぬ内に、バスに乗れば目に入った瞬間にボタンを押してしまいます。いつかはハンディキャップ用のトイレで非常用の呼び出し釦に手が伸びて……。何度「申し訳ありません」と頭を下げ、遠隔から「すみません間違いです!」とジェスチャーをした事でしょう。Nにとってボタンや花びら、水道の蛇口までもが何か特別なモノに見えるのです。どうして「今」なのでしょうか? どうして「それ」に惹かれ触れたくなるのでしょうか? 本能とはいえ、何十回何百回と先を越されればタイミングを習得してよいものの、恥ずかしながら今でもしばしば後手に回っております。

家庭では生活の環境を整える事で、外では繋いでいない方の手に極力注意を注ぎ、標的となりそうな物へ目を光らせる事で抑えられる様にはなっても、反射自体は形を変えて容赦なく表れてきます。それは時に母との学習中であったり、電車を降りる瞬間や人混みの中を急いでいる時であったり……と。

時折メディア等で視聴する事件や事故の背景には、反射によるものと思われる事例もあると聞いた事があります。故に将来の事を慮るとNにとってこの反射行為は永遠に課せられた問題と捉えて、今後も常に注意や改善をしていかなければならないと強く思います。

手の反射と共に足裏の反射からくる問題行為にも悩まされました。最たる例は、歩行中に起こる目に付いたモノ(小石や落ち葉)を瞬時に蹴飛ばす事です。家ではリビングルームのソファーや寝室のベッドが常同行動を引き起こす格好の台となり、目を離せばトランポリンの如く一定の時間飛び跳ねて最後はジャンプで飛び降りる行為を延々と繰り返しておりました。いよいよリビングルームからテーブルとソファーを物置に移して、時々それらを戻しては常同行動の有無をチェックし、完全に(近い状態で)消えたかどうか判断出来るまではしばらくの間床の上に新聞を広げて読んでいた時期もありました。寝室のベッドは惜しみつつも処分をして、フローリングの床に布団を敷いて寝る生活は現在も続いております。

これらの反射と同程度に抱えている深刻な問題が接触の過敏です。三歳の頃に患った中耳炎の治療がトラウマとなり、今でも耳掃除は苦手です。歩行訓練が始まった最初の夏は、帽子も中々被る事が出来ませんでした。また昨年の冬は新型インフルエンザが全国で猛威を奮い、マスクの着用を余儀なくされる事態となりました。それまでマスクの練習を怠っていたツケが回り母との俄か訓練では限界に達し、すがる思いでコロロの日中活動時に耐性トレーニングをお願いしました(約二週間後、母が指示するタイミングでも柔軟に応じ装着が出来るまでになりました)。

目薬は差す瞬間に目をつむり、熱が出れば体温計や額に貼る冷却シートは使えず、怪我をすれば絆創膏や軟膏クリームも全く役目を果たせず、母の勘と本人の自然治癒力を頼りに、ただ時間の流れに任せておりました。そうして件の治療で、親も子も医師も大変な目に遭った事を機に、

・過敏を少しでも耐えられるように鍛える事

・誰の手からでも受身態勢を取れる事を目標にして、ヘアーカットと歯科医院での健康診断に通い始めました。幸い子どもを専門とする店(病院)には恵まれましたが、毎回主人と二人で戦場へ向かう思いでした。美容院ではまず主人がNを膝の上に乗せて、私は反射で顔が動かないように手を添える形でスタートしました。その頃は未だ言葉による理解力が乏しかったので、美容師さんが優しく語り掛けて下さる段取りも、悲しいかなNには暖簾に腕押しでした。回数を重ねていく内に「自分が今何をされているか」という事を徐々に理解し、鏡に映るそれまでの強ばっていた表情は次第に穏やかになってゆきました。安堵感とほんの少し自信を得た頃、母と二人で出向く様になり、いつしか私は傍らに立ちながら様子を見守るだけになりました。

歯科医院でも案の定、荒波の中でのスタートとなりました。初めのうちは診察台に貼り付けたネットの中に身体を入れて固定した状態で診察を受けました。あちらこちらから聞こえてくる器具の金属音で恐怖におののき半泣き状態。僅か5分の歯磨きをとても長く感じ、冬場だというのに終えた後は汗で着替えを必要とする程でした。

虫歯の予防や健診もさる事ながら治療や処置等の不測の事態に備える為、また歯科医院独特の雰囲気に慣れる為にも、就学前までは月に一度のペースで通院致しました。余談ですが最近では自ら診察台に横たわり、大きく口を開きながら待機しています。(笑)

成長の証を感じて

枚挙に暇がない数々の問題行動と日夜対峙しておりますが、成長の手応えを感じる喜びもいくつかあります。

コロロメソッドの要でもあります歩行においては、毎年着実に力を付けてきております。訓練が始まった当初、家庭での母子歩行は二十分が限度でしたが、毎日の集団によるご指導のお陰で半年を過ぎた頃には、一時間近くの歩行が可能となりました。幼児時代は比較的時間にも余裕がありましたので、帰宅後は雨の日も含めてほぼ毎日戸外へ出ておりました。下肢の筋力が強くなると親子でもハイキングや登山に挑み始め、今も時々休日には山へ向かいます。訓練という名のもと、指示語ばかりが口から出てくる山登りは気が滅入る事もありますが、尾根を歩く時の爽快感がそれを忘れさせてくれます。

山しかし、決して順風満帆な時ばかりではありませんでした。突然大反発が発生し、更には母の対応がパニックを招き最悪の状況に陥り、終には昼間の母子歩行が不可能となってしまったこともあります。順調に取り組めていると思っていただけに大変落ち込み、焦り苛立ちました。

年中の秋口から年長の初夏に掛けてのこの半年間は、父との夜間歩行で立て直しを図った時期でもあります。一年生に上がると手繋ぎ歩行は好評価を頂く様になり、重点課題も他のお友達の手を引いて歩く等の能動的な目標が増えてきました。一方、訓練時以外での歩行は未だムラがあり反射で手が離れないよう適宜意識付けが必要な状況でした。年が明けた頃からでしょうか。この握り反射が明らかに軽減している事を実感致しました。それはちょっとした瞬間に、例えば駅のコンコースの移動中や買い物をしている時にも肌で感じました。真の意味で繋がれている意識から繋ごうとする意識へ変わり始めていたと思います。

この春休み、一年間皆勤出来たご褒美に(私の希望もあり)東京ディズニーランドへ出掛けました。不安も充分にあったのですが、予想に反してNは三十分近く並ぶ行列にも不快を示さず、アトラクションでは目を輝かせ楽しむ事が出来ました。そして何よりも周りの親子さん達と同じ様に適度な速度で自然に手を繋ぎ歩いていられる喜び……。一年間頑張った成長の証と思わずにはいられない一日となりました。

長い道のりの始まり

Nは一歳半の検診で発達に遅れの疑いがある事を告げられました。言い様のない深い悲しみと焦燥感の中で来る日も来る日も答えを求めて東奔西走をしていた最中、石井先生の著書に巡り会いました。

『自閉症児の発語プログラム~無発語からの33ステップ~』です。

私達夫婦はコロロメソッドと運命的に出会い、そしてこのメソッドに我が子を託し、全身全霊をもって臨みたいと直感致しました。無発語のNは文字通りステップ1から取り組んでおります。来たるべき書字学習に向けて長い道のりの始まりでした。飲み込みが良く習得が早かった課題もあれば、覚えが悪く進みが滞り試行錯誤した課題も沢山ありました。そして今、書字のカードはもうすぐ百枚目の壁に近づいてきました。

「字を書くことにより一字一音の法則に気付き、やがては発音、発語に至る」

概念の世界で生きている私には、この言葉に懐疑的では無かったと申し上げれば嘘になります。しかしそれをNが目の前で証明してくれました。鉛筆を走らせ時折確認を求めようと発する声は、ひとつひとつ気付いて得た音達なのです。Nが「気が付いた!」という事に私が気付いた時、どんなに嬉しかった事でしょう。未だ単語も覚束無い現況ですが、曖昧に出していた音を正確な音で使い始める様にもなりました。正しいコミュニケーション能力を身に付け概念獲得を目指して、また新たな長い道のりの始まりです。

重きを置かなければならないのはこのような学習面や行動面だけではなく、盲点になりがちな側面も多く潜んでおり「見る力」もそのひとつに挙げられます。人を見る、物を見る、所作を見続ける力がNはとても弱く、足元ほどの至近距離においても焦点が合わない(=見ていない)のは茶飯事です。またダイナミックリズムでの集会時、数メートル離れたリーダーが示す視覚教材や粗大模倣を注視していない様子も時々見られます。目を使わずして出来てしまう事は条件反射で身体が動いているだけに過ぎず、先生方からは頻繁に「N君、見て!」とご指導を受けております。見る力は様々な取り組みを行う上で最も必要であり、Nにとってこれから先も絶えず養っていかなければならない事と肝に銘じています。

これからも

「毎日スクール生」は小学校の低学年から高校生まで在籍をしており、長年実践を積んでこられた先輩MT方からご助言を承れる好機が多いのも特長です。

鋭い洞察力と幾つもの山を越えられた上での的確なアドバイス、そして温かい励ましのお言葉は大変に貴重で有難く思います。何かにつまずいて迷い悩んでいる時に、先生方をはじめこの様な先輩方が身近におられる環境は本当に恵まれていると感じています。反面、環境に甘んじて危機感が薄れ、いつの間にか出始めていたこだわりや反発を見落としがちになる事もこの一年を通して痛切に学びました。

私は不器用で予測を察知する勘も鈍いMTで、日頃から自分の技量不足により数々の失敗を経験しております。精神面でも脆く十年~二十年後の将来を見据えて……という余裕が今は持てず、無我夢中で戦っている日々です。

五年後には始まるであろう思春期、二~三年後には到達してしまうかもしれない学習能力の臨界期。先ずはこの二つの不安と向き合い、然るべき課題に沿って家庭療育に臨みたいと思います。

ようやく登山の準備が整った親子です。

先生方、諸先輩方、これからも引き続きご指導とご鞭撻の程、宜しくお願い致します。

Nの所属する杉並教室では、至る所で季節の草花を見ることが出来ます。庭先や軒下や玄関口で、赤や黄色鮮やかな橙に曇り空と合う紫色の花々は、毎朝子ども達を元気に迎え入れてくれます。

西荻窪駅の改札口を抜けると、私は心の中の言葉を使って独り言を呟きながら教室へと向かいます。

お母さんの声「今朝は新宿に到着するまで不安定だったなぁ……」

「中央線に乗り換えたら賦活が出たのは何が原因だったのかしら……」等々。

時には改札を出た途端に崩れてしまい、

「何故? ここまで順調だったのに……」と焦る朝もあります。息子を先生方に託して踵を返す時それらの花達を目にすると、それまで沈んでいた気持ちは癒されて再び駅へと戻ってゆきます。

「Nも頑張っている。母も頑張ろう!」

心の中の言葉は今日もそう呟いています。

「二人の自閉症児を抱えて」横浜教室 S.Kさん

(発達プログラム119号2010年12月刊より)
「我が家には息子が三人います。次男と三男は自閉症です」と私が話しだすと、皆さん、なんとも言えない表情をします。最近はそんな表情を観察できるようになりましたが、ここまでくるには、もちろん山あり谷あり。すがるような思いでコロロに通い始めて、10年以上たちました。このたび振り返る機会をいただき、怒涛のような日々をお話しさせていただきたいと思います。

mother119-2 次男Hの発達が普通ではないとは、うすうす気がついていました。しかし「そんなはずはない」と思い込み、「きっと人より遅いだけなんだ」と自分に言い聞かせ、2歳を過ぎたころには、三男のKを妊娠していました。大きいお腹をかかえ、多動のHを追いかけ夢中で過ごし、Kが生まれてから、日々の忙しさは倍増しました。お兄さんになったはずのHの言葉は増えず、野生児そ のもの。ようやく三歳児検診で、私から「この子は心配です」と話しても、保健師からは「様子をみましょう」の回答。知り合いのつてで、たどりついた研究機関で、初めて「おかあさん、今まで大変でしたね」と言われました。
今振り返ってみると、障害かどうか悩んでいる期間が一番つらかったです。もっと早く障害を告知するシステムがあれば、こんなに苦しむことはなかったはずです。なぜなら告知されたことにより、「私のせいではなかったんだ、障害だったんだ」と、むしろ安堵したからです。それからは、次のステップに進むだけでした。長い長い戦いの始まりです。

コロロとの出合い

Kは、2歳から保育園に通ったので、すぐに、やはりこの子も障害があるとわかりました。人間とは打たれ強いもので、このころの私は以前の私より強くなっていたのです。もちろん、またか! とショックでしたが、こうなったらやってやる! と前回より短期間で立ち直りました。Hが通園施設と幼稚園を併用していた年中のころ、コロロの講演会が横浜で行われ、私がもとめているのはコロロかもしれない、と思いました。しかし、多動くん(次男H)とこだわりくん(三男K)の二人を連れて、杉並まで通える自信がなく、問題行動にふりまわされる日々が続きました。
Hが小学校に入学、Kが年中に上がるときに、夫の転勤で千葉県に引っ越しました。
それまで形は異なっていても健常児と一緒にすごしていたので、親は勉強は教えられても友達にはなれない、というごくふつうの気持ちから、小学校は普通級を選択しました。1年生の6月に、Hが授業中、学校から勝手に家に帰ってきてしまった事件をきっかけに、私はコロロに面接を申し込みました。初回面接の先生から、「来週から、どうですか」と話され、兄弟二人の事態の重大さに今更ながら気がつきました。それからは、今まで誰に質問しても的確な答えを得ることのできなかった自閉症児の問題行動に対して、コロロなら答えがある、と実感する日々でした。HとKを何とかしなければの思いで、私も必死でした。

次男・H

Hは「悲しい」とか「痛い」状況でもないのに、急に泣き出すことがありました。この意識レベルの落ち込みにともなう「泣き」には、長い間悩まされました。
コロロの先生方に相談したところ、泣きが始まる状況を観察するように教えられました。泣きはなぜか朝、登校前に私が洗濯物を干そうとしている時に始まることが多いのに気がつきました。それを先生にお話しすると、「洗濯を別の時間にしてください、お母さんも背景の一部なんです」と言われ、その時は自分の生活パターンを変えることに正直抵抗もあったのですが、夜に洗濯をすませ朝をむかえると、泣きが減ったのです。
加えてHをぼんやりさせない努力、起きている間は、必ず何か目的のある行動をさせるようにこころがけました。
泣きは年齢とともに影をひそめ、中学生になってからは、たまにうっすら涙をためることがたまにある程度になりましたが、今度は笑いに形をかえたようで、自閉症という障害の根深さを感じます。

三男・K

Kはマイペース、こだわり、軌道行動(惑星のように一定地点を回る行動)、偏食、接触過敏、音にたいする過反応が特徴でした。そのころは2階建ての家に住んでいたので、ひとりで2階に上がって、ひとりでビデオをつけて、それもコマ送りにして見る、特定場面を繰り返し見る、というまさに自閉症に特徴的な見方をするようになったので、2階には寝る時以外はひとりでは行かせないように日々のスケジュールづくりをしました。
偏食もひどく、保育園の先生からは「ハヤシライスとカレーライスしか食べません」と言われたほどでしたが、コロロの先生に相談したところ、学習時に使う小机で対面し、一対一で介助して食べさせるように言われました。面接後の家での食事時、今でもよく覚えていますが、私とKは小机に対面して、残りの家族三人が食堂のテーブルで食べ始めたところ、Kの顔色がサッと変わりました。おかあさんはどうやら本気らしい、というのが伝わったようです。
このような食事方法が効いたのか、その後は接触過敏に対する耐性トレーニングも、絆創膏をはがさずにがまんする、包帯をまいてもとらない、上履きをはきつづける、ぼうしをかぶりつづける、など対象をかえてすこしずつレベfルアップし、許容範囲が広がっていきました。夫が会社から持ち帰った工場用ヘルメットをかぶって、立位トレーニングをしていたのを思い出します。
音にたいしても私の歌声やHの泣き声などにイラついて私の口をふさいだり、Hをつねったりした子だったのが、杉並教室の先生方による特訓が突破口となり(Kをかこんで先生方が歌を歌ってくださいました)、家でも意識的に不快な音(例えば赤ちゃんの泣き声や犬の鳴き声)を少しずつ聞かせてもイライラしない練習に、積極的に取り組めるようになりました。現在では不快な音の発生源を見つけると、自分からよけるようになりました。道の向こうから犬が歩いてくると、慎重に間をあけて歩いています。

息子二人の療育

小学校は二人とも普通級に通いましたので、45分間席にすわっていられるように、コロロの行事には毎回参加し、歩行や登山に家族一丸となって取り組みました。加えて本人ができることが一つでも増えるよう、運動会のダンスや発表会などは、まず私がマスターし、家で特訓をして当日に臨みました。また小学校在籍中は、毎年のようにPTA役員を引き受けました。近所の子どもにHとKを知ってもらいたかったんだと、今振り返ってみると思います。
再び転勤で生まれた土地に戻り、中学校は二人とも地域の支援級を選びました。抑制系の先生方に出会い、二人ともそれぞれ成長をとげました。健常児の母集団があるので、体育祭の時の組体操や応援合戦や大縄跳びでは、Kはりっぱな姿を見せてくれました。Hは1500メートル走に普通級の生徒の伴走者を得て、快走を披露しました。その中学校では初めてのことだったらしく、担当の先生も喜んでくださいました。私たち夫婦が熱い声援をおくったのは言うまでもありません。
しかし、思春期は障害のある二人にも等しく訪れたのです。
6年生の時に、声かけや接触の多いクラスの女子につかみかかったのをきっかけに、Hは私やKにつかみかかったり、かみついたりするようになったのです。二人とも私の背を軽く超え、見下ろされるようになったのに、以前と同じような対応をしていたのです。Hはつかみかかり、時にはかみつき、Kははりつめたような表情をするようになりました。この時もコロロの先生に相談し、私の対応を変え(時にはそれぞれに対して違う対応が必要な場合もあります)、生活にも変化をもたせてみました。
万一、私が病気で入院したらという状況も想定して、そうせい学苑(コロロの成人施設のショートステイ)も利用してみました。うれしいことに、2回の利用でHの早食いが原因の反芻もおさまり、うまく生活の変化をもたらす結果につながりました。やはり集団の力は有効です。

次男・三男の余暇活動

mother119-1本人の余暇活動も充実させたいと考え、小学校5年生からは地元のマラソン大会に出場し、5キロを走れるようになったので、スペシャルオリンピックスにも参加しはじめました。こちらでは夫が熱心にかかわり、陸上プログラムに参加してみたところ、特にHの足の速さは目を見張るほどでした。それまでも私が自転車をこぎ、二人が走るという形でトレーニングを重ねていましたが、専門のコーチにつくことにより、記録も距離ものばしており、いずれはフルマラソンに挑戦させたいと思います。来年2月には東京マラソン障害者の部で10キロを走ります。
去年からは卓球プログラムにも参加しています。こちらではKが活躍しており、ときどき鋭いスマッシュを決めています。
今年からはピアノも始めてみました。以前は、音符が読めるかどうかわからなかったので、家にピアノがあるにもかかわらず教えていなかったのです。教えてみたところ、音符と鍵盤の音の関連がわかったので、今までの時間をとりもどすべく、毎日練習を重ねています。いずれ親子で連弾もしたいものです。
訓練会でつづけているエアロビも、よいトレーニングになっています。以前は足のかかととつま先の区別もわからなかったのに、音楽を聞きながら自分の体をコントロールし、自分で意識して体を動かす経験を積んでいます。Kはステップも軽やかです。
コロロに通い療育を重ねた結果、生活の幅が広がりました。Hは歯列矯正もできるようになっています。また、去年てんかん発作をおこして入院した際にも、親の付き添いを要求されることもなく、さまざまな痛い検査に耐え、3週間過ごすこともできました。つまり、療育を通して、本人たちは生きる力を身につけているわけです。いろいろなことに挑戦でき、大好きな温泉旅行や趣味を楽しめるのも、概念が拡がり、変化に対応でき、支援を受けられる体になっているからです。それは私たち家族のよろこびにもつながっているのです。

仲間と地域活動

通園施設の仲間たちと一緒に入会した支援者の会が、後にNPO法人に形を変えて、知的障害者が地域で暮らしていけるような支援を続けています。障害のある方が地域で暮らしていくうえで、必要なニーズはさまざまです。
例えば、一昔前は母親が病気で寝込んだら、元気な自閉症児は学校を休まなければならなかったのです。そんなことではいけないと立ち上がった母親たちが事業を始めました。移動介護事業と体験型ケアホームです。同時に市民活動も始めています。知的障害にかんする勉強会から始まり、制度の勉強を通して、障害のある方一人ひとりのニーズを形のある支援にするために、市や県に要望活動をしています。また知的障害を地域の方に知ってもらう努力を、つまり敵ではなく、味方をつくる活動もしています。
例えば、私が所属する地域キャラバン隊というグループも、いろいろな場所にでかけて知的障害を体験してもらい、きっかけづくりに取り組んでいます。養護学校を卒業したら、私の住んでいる市では行き先を探すのは困難です。それに応えるべく、NPO法人では去年、日中活動の場も立ち上げました。いずれ母親たちも年をとります。そんなときに本人たちを見守り支えるシステムづくりも必要です。私も10年以上のつきあいになる仲間(これが非常に心強いです。なぜなら共通体験から出発している強い絆があるからです)とコロロメソッドを支援の基礎とした日中活動の場を立ち上げるべく活動中です。
12月には、この市で初めて、コロロのダイナミックリズム及び講演会の開催予定で、今はそのための準備をしております。ありがたいことに、多くの先生方がご多忙な年末にもかかわらず、かけつけてくださいます。
現在、Hは養護学校高等部2年に、Kは市立中学の支援学級3年に在籍していますが、まだまだ課題はたくさんあります。自閉症は生涯にわたる支援が必要です。本人が生きていくうえでの困難さに気づき、その困難さを少しでも楽にしてあげられるのは、なんといっても家族の力だと私は思います。多くの場合、戦えるのは母親です。 人として生まれたからには、誰にでも必ず役目があり、人生を楽しむべきだと考えます。私はHにもKにも役目を果たし、人生を楽しんでほしいと思っています。そのためには、母親があきらめずに関わるしかないのです。
なかなか結果が出ないで、落ち込むこともあるかもしれません。そんなときでも仲間は、はげましてくれます。コロロの先生方も努力する人間を見放すことはしません。自閉症は発達障害のチャンピオンだ、と言われています。となると、自分はチャンピオンの母だ、という誇り? を持って本人たちに関わっていきたいと思います。
これまでいろいろな方に支えられて、HとKとともに私も成長してきました。貴重な出会いがたくさんありました。同じように障害児を持った大先輩から教わったとおり「酸いも甘いもある旨みのある人生」になりました。
最後になりましたが、コロロの先生方に感謝申し上げます。これからもご指導よろしくお願いいたします。そして私を辛抱強く支えてくれた夫、長男、そして母にも感謝しております。

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